投稿・お便り

『西高野街道に遊ぶ』が出版されました。

2009年11月4日 水曜日

生まれ育った河内長野市三日市は昔から高野街道の街道沿いにあって3日に市がたつので、三日市という。
明治維新のさい、五条か高野山のほうに向けて天誅組の人たちが通っていった。と母が母の祖母から聞いたという。みんな15~6の若い男の子ばっかりだったそう。
また、母が子どものころ(昭和のはじめ)、高野さんでの春のお祭りの時期には、おせったいといって草餅と白いお餅を袋に入れて、朝5時ごろ門口をあけてお参りする人に渡していたそう。

そんな西高野街道を歩いて、いろいろ歴史的なことも交えながら、本にしてくださいました。
それぞれの町には、道があり、街道と呼ばれるものもたくさんありますが、摂津、河内、和泉から高野山へとつながった古の道、「西高野街道」に少し興味をいただけたら、ぜひ呼んでいただきたい書物です。
歩くためのガイドブックとなっていますが、かなり歴史的な説明も多く、読むだけでも結構興味をそそられます。

以下は、書物から。

 高野街道には、東高野街道、西高野街道、中(上)高野街道と呼ばれる三つの主街道と下高野街道があった、
 東高野街道は、古代の官道の一つであった南海道がその前身と言われており、四つの街道の中で最も古くから開けたと考えられる。京都と高野山を結び河内国を縦断して南下。途中、暗越奈良街道、長尾街道、竹内街道などと交わっている。街道は、京街道とも呼ばれ、洞ヶ峠(八幡市・京都府と大阪府の境)を越え、八幡、淀、下鳥羽、上鳥羽を通り京へ上って行く道である。
 逆に京都からは、石清水八幡、洞ヶ峠を越え、枚方市に入り、生駒・金剛山の西麓の星田(交野市)中野(四条畷市)、中垣内(大東市)、石切(東大阪市)、瓢箪山(東大阪市)、恩智(八尾市)、安堂(柏原市)などの諸都市を南下して貫き、石川と大和川の合流点を渡り、河内国府跡(藤井寺市)、道明寺(藤井寺市)、古市(羽曳野市)、喜志(富田林市)、富田林寺内町(富田林市)を経て、錦織一里塚(富田林市)に至り、長野(河内長野市)で西高野街道と合流していた。

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はじめて投稿に挑戦しました。

2009年6月3日 水曜日

6/3 読売新聞を読んでたら「気になる!」欄が目に留まりました。
私も去年60歳になりました。みなさんと出会い、これから楽しみが出来ました。
迷える子羊ならぬ迷えるオバン羊でございます。
今月から介護2級ヘルパーの資格を取る為、講習を受けます。
周りからは年だからとか体を痛めるとか色々言われています。
自分にも余り自信が無いのですが、後悔したくないという気持ちで
やって見ようと決心しました。
先のことは分かりませんが今やりたい事をやろうと思っています。

歩くの大好き さん より

龍神村の小学校に二ノ宮金次郎の石像が。

2008年10月30日 木曜日


昨年の秋、龍神村めぐりで宮代小学校の文化祭を見学させていただいた。
私たちの時代、小学校の校庭にかならずあった二宮尊徳の石像を見つけて、一緒にいったかたがたはみなさん、パチリ、パチリとカメラのシャッターをきった。私だけではないんだ、と思いながら。

宮代小学校は児童数も30人前後と少なく、また林業の村の小学校だからでしょうか、木の香りのする教室で先生も生徒もみんな家族のように。こういうところで育ったらきっと自然を愛し、家族を愛し、いいところいっぱいのような気がしましたが、実際には、いろいろな面で、ご苦労もあることだと思います。

60にしてバイクの喜びを知る

2008年9月26日 金曜日

ガソリン高騰の折、妻の送り迎えが家計にひびきだし、ついに原チャリで最寄りの駅まで25kmを通勤せざるをえなくなった。産まれて初めて一人で自動で動くものに乗った。なんと快適なことか。一人でどこへでも行ける。通勤途中ふと、このままどこか遠くへいきたいな、と思ってしまった団塊おじさんでした。

 

娘が「宮崎綾のぬいぐるみたち」展を開催中

2008年9月26日 金曜日

投稿本文 団塊世代の未婚の娘が奈良のギャラリーで個展をしています。(9/23~10/5)ぜひ見てやったください。親バカです。


詳しくは
http://blogs.yahoo.co.jp/gallery_okamura/
宮崎利一

赤塚不二夫へのタモリさんの弔辞

2008年8月11日 月曜日

インターネットのニュースで、タモリさんの赤塚氏への弔辞を読んだ。あれは白紙だったのでは?と話題になっているそうだ。

オバンスの名は「おばんでやんす」というケムンパスの一言に由来する。それほど、私の高校時代~大学時代は赤塚不二夫の影響下にあった。大好きだったのだ。

引用すると何かに抵触するのか知らないので、指摘があればごめんなさいだけど、きっと同じ思いを抱く読者の皆さんと、スポーツニッポンに掲載されたらしい弔辞全文を共有したいと思う。本当に心から同じ思いだからだ。

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お久し振り、歯は大切に

2008年1月7日 月曜日

友人にこのコーナー教えてもらいました。
歯医者になって、お恥ずかしいことですが60で入れ歯なんです。

皆、歯に対しては十分気をつけてくださいね。
取り返しがつきませんよ。(自己反省しています)
これからこのコーナーで歯や口のこと投稿させていただきます。

昔の思い出とともに。

尾上好申

英語に携わっていると色々なことに気づきます。

2008年1月7日 月曜日

明けましておめでとうございます。

英語に携わっていると色々なことに気づきます。
外国の人名はその国での呼び方、つまり、姓を先に表記することを厭わないのに日本人については名が先。教科書では普通の順序に書かれているのを見ることが出来るようになりましたが、でも、会話の中では、名前が呼び捨てで使われています。日本に居る状況でも。

古には、相手の霊を気遣って名前を呼ばないようにしていた倭人。今も家族以外には姓に「さん」をつけます。相手を尊重して呼び合う日本文化の素晴らしさ。
昨今の英語教育の中で子供たちが個人名を、さらに、呼び捨てで使うことが当たり前、あるいは、良いことだ、と感じて育つとすれば、その後には…

平成20年 元旦

杏奴

ひたすら庭掃除の京都への旅

2007年12月12日 水曜日

通い始めて2年になる千葉大学園芸学部で庭園デザイン研究室が「京都庭園管理実習」を主催するというので若い大学院生、大学生に混じって”還暦爺さん学生”が参加させてもらった。

12月3日からの4日間、木賃宿のようなところに合宿して大宮仙洞御所、修学院離宮、桂離宮、京都御所で早朝から3時ごろまで庭園管理実習をするのだが、その中身は、季節柄、庭に降り積もった膨大な量の落ち葉をかき集めるというもの。これが実に楽しい。すべての雑念を忘れ、超特級の芸術作品である名庭の、それも一年で最高の季節に庭仕事ができる喜びを感じることができた。苔や白砂の上に積もった半端でない量の落葉を熊手、竹箒、箕を使って丁寧にかきあつめていくのだが地下足袋を履いた足になんとも心地好い。東京周辺では気候、土壌が違うのか、足が沈んでしまうほどの柔らかい苔にお目にかかったことが無い。 白砂利を敷きつめた園路や枯山水に積もった落ち葉の処理は混じってしまう砂利を箕を使ってより分けるのにちょっとしたコツを要し時間がかかる。京都御所清涼殿西側に萩壷という中庭があり20株ほどの萩だけが整然と植えられている。ほとんど葉を落とし枯れ枝だけになっているものを根元近くで刈り取り、径10 Cm程度に束ねたものを “とっくり結び”"男結び”という造園屋植木屋独特の結び方で締め上げる。これを縦にまとめて庭の仕切りに使うと萩垣となる。もちろん大量の落ち葉もすべてかき集め、あとは白砂だけで萩の株さえ見えない。

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初めまして。

2007年11月7日 水曜日

川村さんと高校がご一緒で、今度こんなのを立ち上げたのよ、とお聞きして、じゃ、私も何かメッセージを寄せようと。
でも、ハテハテ私って何かある????
何もこれ!って人様に言えるものないなあーーーーー ウーーン困ったなあ・・・・・
あった、あった!!私じゃないけど、友達に、自慢したい人っていうか、その生き方に元気をもらえる人が!
昨今、私たち団塊世代のことが男性、女性、はたまた男女ひっくるめて色々と取り上げられていますよね。
ファッションから生活全般、はてまたその生き方にいたるまで・・・・
もうーーほっといて!!と言いたいくらいに。
まあ、世の中の格好なネタというか、カモというか。
と、話が逸れていきそうになりましたが、そういう新聞や雑誌に紹介されている自分の知らない人でなく、「わっ、やるなあーー」と思った私の身近な友達をご紹介します。

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