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	<title>団塊世代、つながろう。オバンスクラブ &#187; 野寄史郎</title>
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	<description>オバンデヤンスと、ふらっと寄ってください。</description>
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		<title>私のペンネーム考</title>
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		<pubDate>Tue, 25 Dec 2007 07:11:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>obans</dc:creator>
				<category><![CDATA[野寄史郎]]></category>

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		<description><![CDATA[30年ほど前ペンネームを考えたことがある。別に実名でも良いのだが、少し格好を付けて、文章を書くならペンネームがあれば良いなと思った。しかしいざペンネームを創るとなると、どんな名前を付けたら良いのか、いささか悩むものである &#8230; <a href="http://www.obans-club.com/noyori/3/">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img id="image20" src="/images/noyori/keieigaku-book-s.jpg" alt="経営学孫子" width="142" height="200" align="right" /> 30年ほど前ペンネームを考えたことがある。別に実名でも良いのだが、少し格好を付けて、文章を書くならペンネームがあれば良いなと思った。しかしいざペンネームを創るとなると、どんな名前を付けたら良いのか、いささか悩むものである。子供に名前を付ける時、名前は子供が一生名乗っていくものであるから非常に重要である。しかしペンネームならそんなに大げさなこともない。もっと気楽に付けても良いのではないかと思うのだが、やはり付けるからには良い名を付けたいと思う。<br />
そこで何か参考になるものはないかと思い、現在、有名な作家と言われる人たちの名前を調べてみた。すると面白いことが判った。<span id="more-3"></span><br />
作家達のペンネームは、大きく分けて二つに分類できるのである。<br />
「郎」の付く作家達と「郎」の付かない作家たちである。</p>
<p>まず、「郎」の付く作家であるが、最初に「一郎」と「太郎」を見ると、<br />
【太郎】が付く作家は、歴史小説の代表である司馬遼太郎、旅行サスペンスの西村京太郎、時代小説の池波正太郎、山岳サスペンスの梓林太郎、他に沢木耕太郎、山田風太郎などがおり、【一郎】が付く作家は、山手樹一郎、谷崎潤一郎、亀井勝一郎、白石一郎などがいる。<br />
次ぎに「次郎」の付く人は多いが、「二郎」と名乗る人は、私の知っている限りではいない。総ての作家が「次郎」と名乗っている。<br />
【次郎】と名乗る作家は、山岳小説の新田次郎を初め梶井基次郎、浅田次郎、赤川次郎、大佛次郎、灰谷健次郎などがいる。<br />
【三郎】が付く作家には、経済小説の代表である城山三郎やノーベル賞を受賞した大江健三郎、あるいは時代小説の柴田錬三郎、嵐山光三郎などがいる。<br />
「四郎」は、発音が「死」の音に近いためか以外といない。最近になって時代小説を多く書かれている井川香四郎がおられることを知った。やっと「四」の付く作家が出てきた。「四郎」がだめなら「士郎、司郎、市郎、史郎、志郎、支郎、資郎、始郎、詩郎、嗣郎、糸郎、詞郎、枝郎、思郎、賜郎、姉郎、紫郎、獅郎、柴郎、柿郎、梓郎」などいくらでもあるのだが、こららの文字を使った作家は不思議といない。文字は異なっても音は「し」と発音するのでやはり嫌われるのか。<br />
【五郎】には、時代小説を代表する山本周五郎や海音寺潮五郎がいる。<br />
【六郎】から【九郎】までは、どうもおられないようである。【十郎】は数人おられたような気がするが今すぐには思い出せない。直木賞は直木三十五の業績を記念して創設された文学賞であるが数字のみで【三十五】に「郎」は付かない。<br />
「郎」の付く武将もいる。源九郎義経は「九郎」、織田上総介三郎信長や武田四郎勝頼は「三郎」や「四郎」が付く。</p>
<p>一方で　「郎」の付かない大作家も多い。<br />
芥川竜之介、太宰治、井上靖、遠藤周作、川端康成、小林秀雄、藤村藤村、筒井康隆、夏目漱石、松本清張、三島由紀夫、宮城谷昌光、吉村昭。吉川英治、山岡莊八などなど、数えたらキリがない。<br />
さあ、「郎」の付く名前にするか「郎」の付かない名前にするか、いずれも決断するには捨てがたい魅力がある。</p>
<p>日本では、奈良時代以降、源（みなもと）、平（たいら）、藤原（ふじわら）、橘（たちばな）の四氏、いわゆる源平藤橘（げんぺいとうきつ）を四姓（しせい）言い、これらの家は名家とされた。そのため戦国の武将を初め各大名や武家では、この何れかの流れに入ろうとした。<br />
例えば、百姓上がりの豊臣家は、摂関家の藤原氏を名乗った。しかし一方で在地の名をとって自らの苗字とする武将も多かった。例えば、源氏の足利氏は関東の下野（しもつけ）足利荘を本拠としたのでその地を自らの名としたし、同じ源氏の新田氏も上野（こうずけ）新田郡に土着して新田と称した。武田氏は源義光の子孫が甲斐国北巨摩郡武田村に土着して武田と称したし、織田氏は越前国丹生（にゆう）郡織田に住んだ藤原氏の一族であるが後に平氏と称している。鎌倉幕府の執権家である北条氏は、桓武平氏の流れを汲み伊豆の北条の地を本拠としたので北条と称していた。また徳川氏は、三河加茂郡徳川郷の土豪の出であるが源氏と称するようになった。このように日本の苗字は、自らの在地をその苗字として発生したものが一般的である。そのため日本の苗字の多さは、世界一とも言われている。</p>
<p>藤原家が支配する平安時代の終わり頃から、日本の政権は平清盛を代表とする平氏へと移ったが、それもつかの間、その政権も次の源頼朝に奪われた。しかし源氏によって樹立された政権によって、この日本で、しかも世界の辺境の地に位置する日本で中世・封建時代が始まったのである。これは西ヨーロッパ以外では唯一初めての出来事であった。しかしながら日本と西ヨーロッパ以外の世界では、その後も長く原始社会か古代社会のままの状態が、しかもそのような社会がごく最近まで続いてきたのである。その源氏が起こした武家政権を平氏の北条氏が奪い、さらにそれを源氏の足利氏が奪って室町幕府が成立するのである。しかも征夷大将軍の地位には「源氏の流れ」しか就いていないのである。平氏、源氏、平氏の北条氏、源氏の足利氏、当然次の政権は、平氏の順になる。そこで藤原氏の出である織田氏は平氏と名乗り、次の秀吉は源氏と名乗ろうとしたが、これは問題。結局、摂関家の藤原氏を名乗ることになる。さて次ぎに政権を奪う者は、源氏でなければならない。徳川家康は、早々と源氏を自らの出自とし、江戸に幕府を開き征夷大将軍の地位を獲得したのである。これが日本における「源平交代の制」である。<br />
閑話休題　本来、「筆名（ひつめい）」とも「ペンネーム」とも称されるものは、何のために出来てきたものであろうか。学者が書籍を刊行する時は、その著書に実名を用いて発表しているが、こと小説など文学に関するものになると、筆名・ペンネームが使われる。<br />
弾圧や中傷を逃れるためか、あるいはもっと別の意味があるのか、実名を隠さざるを得ない事情があったためか。このような筆名やペンネームが使われるのは、江戸期の浮世絵師や人情本の作家たち、俳諧師や狂歌師、あるいは江戸期の遊里や夜の町で使われる源氏名も一種のペンネームのごときものか。</p>
<p>そもそも、源氏名は、宮中の女官や武家の奥女中などの名に用いられたものであるが、その起源は、畏れ多くもかの紫式部が著した『源氏物語５４帖』の題名に因んで付けられたものである。最初の頃は『源氏物語』の巻名に因んで使われていたようであるが、江戸期以降は、遊里の遊女や芸者にも使われ、現代では飲み屋の愛しきホステスにも使われている。そして『源氏物語』とは大きくかけ離れた源氏名が現在では広く使われているのである。最も「夕顔」や「若紫」「紅葉」「葵」あるいは「朝顔」や「若菜」また「紅梅」「蜻蛉」ばかりでは、いささか興ざめするのだが・・・。カッコつけのために源氏名が生まれてきたのであるが、遊里では、本名では余りにもダサイので変えざるを得なかったのか、あるいは自らの身元を隠すためにこのような源氏名が生まれてきたのであろうか。何れにしても本名を隠す意味では、筆名と全く同じ主旨である。</p>
<p>さて私のペンネームは何て付けよう。<br />
苗字は住んでいる都道府県名や京・大和・河内・和泉・摂津などの旧の国名からでも良いし、あるいは市町村の名から考えれば簡単であるが、下の名が決まらない。「郎」を付ける、「郎」を付けないと悩む。考える時間は十分にある。イイや、その前に何か一編の「文書」なり「作品」なりを書き上げてからでも遅くない。ペンネームなどは、それから考えても十分である。</p>
<p align="right">（野寄史郎）</p>
<p></p>
<p align="right">※著書：<a href="http://www.amazon.co.jp/%E7%B5%8C%E5%96%B6%E5%AD%A6%E3%80%88%E5%AD%AB%E5%AD%90%E3%80%89%E2%80%95%E4%BB%8A%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%AE%9F%E5%AD%A6-%E6%A8%AA%E5%B1%B1-%E8%B1%8A/dp/4861282055/ref=sr_1_1/249-0474327-2933160?ie=UTF8&amp;s=books&amp;qid=1191897198&amp;sr=1-1">経営学〈孫子〉―今に生きるその実学</a></p>
<p></p>
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		<title>朝青龍は、なぜ戻った　日本に、角界に？</title>
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		<pubDate>Tue, 18 Dec 2007 07:18:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>obans</dc:creator>
				<category><![CDATA[野寄史郎]]></category>

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		<description><![CDATA[朝青龍の人間性は「嘘つき」である。この一言に尽きる。 相撲界でも初めてと思われる「脱税」をし、肘と腰の病気と嘘を書いた「休病届」を提出し、夏巡業をサボり、しかも無断で帰国し母国でサッカーに興じていた。その結果が「二場所の &#8230; <a href="http://www.obans-club.com/noyori/5/">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>朝青龍の人間性は「嘘つき」である。この一言に尽きる。<img id="image9" style="width: 179px; height: 235px;" src="/images/noyori/sumoo_3.gif" alt="sumoo_3.gif" width="179" height="235" align="right" /><br />
相撲界でも初めてと思われる「脱税」をし、肘と腰の病気と嘘を書いた「休病届」を提出し、夏巡業をサボり、しかも無断で帰国し母国でサッカーに興じていた。その結果が「二場所の出場停止」と「謹慎処分」である。しかもそれによって精神的負担が大きく「解離性障害」と診断された。これで病気にならなければよっぽど図々しいと言わざるを得ない。嘘をつき、ばれたら精神的ショックが大きく病気になったと公言した。横綱ともなる人間が本当にこんなに精神力がなく、しかも弱いものであろうか。まるで子供と同じレベルである。その結果、何の説明も謝罪会見もせずに、しかも自分は悪くないと言いたげにふてくされて帰国してしまった。相撲協会も病気としかも母国での療養が必要と診断されれば、人道的見地から帰国させざるを得ず、またさせることを朝青龍は、十分に読んでの行動と見受けられ、すこぶる後味の悪いことになってしまった。<span id="more-5"></span></p>
<p>脱税をし、巡業をすっぽかし嘘を付く人間性。この根底には、本人がいくら否定しようが「強ければ何をしても良い」との考えがあるからではないのか？　この社会では、強ければ何をしても許されるのであろうか？　人間の品格が落ちてしまう行動が本当に許されるのか。しかし世間の意見は、「許す、許さない」と意見の分かれるところとなった。</p>
<p>また謝罪が遅すぎる。直ぐにすべきである。どんな人間でも罪があれば直ぐに謝罪する。謝罪などする気がなかったからこれだけ遅くなってしまったのであろう。謝罪してから母国に帰国すべきである。しかし今頃なぜ？今頃謝罪するのは、本人は「辞める覚悟」があったからではないのか。？それを相撲協会が「引き止めた」のではないのか？</p>
<p>しかもあの程度の謝罪なら帰国する前に出来たのではないのか。ふてくされ詫びもせず帰国し、悪いことをしたとの反省もない人間。責任もとれない人間。横綱と言う角界の頂点にいる人間が、これでは、お粗末過ぎる。人間としても人格としてもお粗末すぎる。<br />
でもこんな人間が許される。これが今の角界の、日本のレベルであろうか。<br />
謝罪せずに帰国することは、角界からの「追放」を覚悟していたから出来たのではないのか。角界に残りたければ、問題を起こした時点で直ぐに謝罪していたハズである。謝罪しなかったのは「追放」を覚悟、あるいは逆に「角界は自分を追放をしない」と高をくくっていたからではないのか。「追放を覚悟」または「追放されない」と読む駆け引きではなく、自ら責任をとるぐらいの「覚悟」が欲しかった。何れにしても品格のない行動である。また、日本への帰国当日、モンゴルの空港に集まった日本の報道陣に対し「下がれ！、下がれ！」と不機嫌そうに日本語で言ったと言う。「下がれ！」とは何事か。自分の立場を何と考えている。また巡業地から次の巡業地までヘリコプターを飛ばせと言ったこともある。いったい自分を何と考えているのか。理解に苦しむ。しかもこんなことをする人間を抱えている相撲協会にも同じ疑問が湧いてくる。<br />
このように品格のない、またそれを求めていない角界、あるいは横暴な発言の数々、さらには「出げいこ」で相手に怪我をさせる問題等々、このような人間が角界にいては、将来また同じような問題を引き起こすであろうし、本人が起こさなくても、そのマネをする力士が出てくることも危惧される。</p>
<p>「横綱審議委員会」は、自ら認めた横綱を角界から追放してしまったら自らの責任が問われると判断したためか、あっさりと朝青龍の復帰を許可している。委員会があのレベルでは、何をか言わんである。</p>
<p>ＷＢＣフライ級タイトルマッチで反則行為を繰り返した亀田大毅は、二度も謝罪している。一度目は、坊主頭になって会見に臨んだが一言の発言も無く、途中で退席してしまった。しかし対戦相手の内藤選手には、自宅を訪問して謝罪している。<br />
二度目の謝罪会見は、先月の30日，正に朝青龍の謝罪会見が行われた同じ日に。しかも自らの言葉で語っている。彼の反則行為に対しボクサーのライセンスを一年間停止する処分を受けている。しかし朝青龍はわずか二場所であり、謝罪もしなかった。<br />
ボクシング界と相撲界、それぞれが自らの責任の取り方に対する考えが大きく異なることを我々に教えてくれた。。<br />
亀田大毅は、二度の謝罪、坊主頭で未成年。<br />
朝青龍は、成人のしかも角界の頂点に君臨する人間。ちょんまげは切らず。成年。謝罪会見は当初無し。しかも国外に逃げ、母国に帰国してしまった。あなたは亀田と朝青龍、どちらの考え、行動に賛同しますか。<br />
いずれが立派だと思われますか。</p>
<p>そもそも相撲は、スポーツかそれとも単なる見世物か。<br />
日本古来の武道である「剣道、柔道、弓道、槍術、乗馬」等こそ国技では？　しかしこれらは国技と言わない。強いて言うなれば「お家芸」と称されている。<br />
しかも相撲は国技でもないのに「国技館」で行われ、その他の日本固有の武道は「武道館」で開催されている。ここに「相撲は国技である」と国民を欺いた「国技」なる言葉が生まれてきたのである。</p>
<p>人のモノを盗っても返せば無罪か。窃盗罪にならないのか。人を刃物で傷つけても回復すれば無罪か。傷害罪にならないのか？　人の物を盗り見つかれば謝り、返せば済む。万引きしていても返せば済みますか。罪は問われませんか。罰は受けないのですか。こんな大問題を起こしておきながら謝罪すれば済む。イイや、彼は謝罪もせずにふてくされて帰国してしまったのである。<br />
こんな男を、こんな横綱を許せますか。日本の古来からの神事をここまで傷つけられて本当に良いのですか。<br />
私は許せません。<br />
閑話休題　<img id="image10" style="width: 207px; height: 317px;" src="/images/noyori/sumoo_4.gif" alt="sumoo_4.gif" width="207" height="317" align="left" /></p>
<p>相撲の歴史は古い。<br />
伝説では、野見宿禰（のみのすくね）と大和国当麻の住人・当麻蹴早（たいまのけはや）の二人が、力比べをし、宿禰が勝つた。そのため彼は後に「相撲取りの祖」とされるのである。<br />
その後、平安時代には宮中の年中行事として相撲は行われていたと伝えられているし、また室町時代には、現在のような職業力士も既にいたと言われている。</p>
<p>元来、相撲は、奈良時代より続く神事である。神事であるから「神迎え」や「神送り」の神事が今以て行われている。<br />
明治４２年（1909）、両国に「国技館」と言う名前がついた相撲専用の建物が建ち、それから「相撲は国技」と言われるようになった。</p>
<p>しかし、相撲は国技ではない。神事である。従って女性は土俵に上がれないし、上がってはならないのである。大阪府の女性知事が大相撲春場所で知事杯授与のため女人禁制の土俵に上がりたいと言って波紋を投げかけたことがある。「21世紀は女性の時代。大相撲も新しい形を目指すいい時期だと思う」と一方的に発言している。この知事など相撲の歴史が全く分かっていないからこのような無茶を言うのである。しかも上がれないのは男女差別などと言って。しかし差別の代表である府立女子大は相変わらず温存させている。男女差別を論じるなら、まず府立の女子大を閉校または男子にも入学許可を与えてから土俵問題や男女差別問題を論ずべきである。自からの無知、ワガママを暴露するような発言は厳に慎むべきである。<br />
この女性知事の発言を「正」と考えるならば、修道院や尼寺も当然、無くさなければ男性差別をしていることになる。<br />
しかし世界は、男性しか登れない奈良の大峰山を世界遺産に登録した。世界は、「宗教的なもの」まで否定して、男女を同一視しているわけではない。このことを女性知事は理解できていないのである。<br />
閑話休題</p>
<p>相撲は各大名に抱えられ木戸銭を取り「興行、見世物」として江戸期から特に発展してきた。従って「勝つこと」が最大の目的であって「人格の形成」や「品格」は、必要ではなかった。勝って儲かれば良い。そのため今だに、勝った力士には懸賞金が渡されているのである。<br />
あらゆるスポーツのなかで当事者に懸賞金が支払われるスポーツはない。同じ格闘技でもボクシングにはないし、レスリングにもない。勿論剣道や柔道にもない。相撲のみが未だに純粋なスポーツになっていないのである。この点だけを捉えると、単なる興行、見世物の段階から相撲は未だに脱却できていないのが現状である。</p>
<p>一方、剣道や柔道あるいは馬術や槍術などは、将軍や大名、武士たちの支配階級が「自らの人格」を高めるために修練を重ねていくべきものであった。従って、それは木戸銭をとって行う見世物でもなかったし、自らの生活の糧を得るためのモノでもなかった。相撲とは育ちが違うのである。そして、それらに何らかのルールを付けることによって武道は、近代スポーツへと脱皮・成長し、国民に親しまれてきたのである。<br />
しかもそのうちから、柔道はオリンピック種目へと発展していった。　しかし現在では同じスポーツの相撲のみが、「興行」とか「巡業」とかいって、そのワザを見せるために観客を募り、観戦料を取り、「見世物」あるいは「ショー」としての性格をもって未だに行われている。しかし明治以降、心ある人々によって「勝てばよい」と言った考えから離れ、この悪しき流れを裁ち切り、人格形成を相撲界は目指してきたのでは無かったのか。</p>
<p>「相撲道」と自ら名付け「相撲」に「道」を付け人格の形成を目指していたのでは無かったのか、今回の朝青龍が先人の長い努力を断ち切り、また江戸期の「勝てばよい」相撲へと引き戻してしまった観がある。非常に残念である。<br />
やはり相撲は、所詮その程度のモノであったか。<br />
しかしながらそのようなスポーツでも「相撲道」と言われるように人格形成の一つの手段として明治以降考えられてきた。元来江戸時代には相撲は各大名に召し抱えられ、大名のために戦わされてきた。それを力士自らが人格形成のスポーツとして位置づけ「強さ」に「人格」、「品格」を兼ね備えたものとして、国民もまたそれが「相撲道」であり「国技」であると思ってきた。</p>
<p><img id="image11" src="/images/noyori/sumoo_5.gif" alt="sumoo_5.gif" width="175" height="168" align="left" /> しかしながら現在の角界には「品格」がなさ過ぎる。相撲教習所でいったい何を教育されているのであろうか。力士教育が全くないがしろにされていないか。また外国人力士に対しても、日本の社会で生きていくなら日本の文化をもっと教えるべきであるし、力士も知るべきである。<br />
「勝てば良い。強ければ良い」のであろうか？「誇り」や「謙虚さ」はどこへ行ってしまったのであろうか。<br />
「横綱は強いだけ」で決めていないか？「品格」まで求めていないのではないか。ここに問題があるのではないか。その結果このように「品格のない」横綱を生み出したのではないのか。<br />
「責任を持って行動をすること。これが品格がある」と言う。強いだけで自らの行動に責任が取れなければそれは「品格がない」と言う。</p>
<p>相撲は、相撲取り（力士）から親方になり、その内から理事や理事長に選出される。しかし相撲協会は外部の意見を反映しにくくしている。<br />
一方、野球は選手から監督になるが、そこから上はない。オーナーや球団社長がおり、外部の意見が反映するように組織されている。しかし角界には無い。</p>
<p>朝青龍問題が生じないまでの角界は、もっと「品格」を求めていたのではなかったか。それを国民も角界も共に求めていた。従って、国技でもないのに国技と詐称していても国民は、何も問題にしなかった。<br />
日本古来からある多くの武道は、日本武道館で行われ、しかも剣道も柔道も金を取って試合をしないし、見せもしない。相撲のみが観客から金を取って自らの技を国技館と言われる所で見せるのである。</p>
<p>柔道がオリンピック種目になって久しい。日本生まれで今後オリンピック種目になる可能性のある競技に「相撲」や「駅伝」や「剣道」などがある。相撲の力士の出身国が多様化し、競技よりも力士の国際化が始まっている。また「駅伝」も海外からの出場者の多くが参加し、これもまた国際化してきたと言える。しかし相撲の観戦者から観戦料を取るのはやむを得ないとしても、競技者同士が賞金を懸けて戦うのは如何なものかと思う。会場の維持費などのために観戦料を徴収せざるを得ないのはやむを得ないとしても懸賞金とは全く意味が異なる。相撲協会の再考を願いたい。こんなことをやっていたは、何時までたっても見世物であり、品格や国際化などとんでもないことである。</p>
<p>ここに至って朝青龍によってその考えは全く否定された。「強ければ良い」の一点に尽きる行動をまたしても行っているのである。「強さ＋品格」はどこに行ったのであろうか。かって支配階級が自ら律した「品格」や「人格の形成」を力士そのものが、またしても「品格は不要」として否定したのである。このままでは相撲は何時までたっても「品格」のない見世物に過ぎず、スポーツでもなければ、国際化やオリンピック種目への発展など、夢のまた夢に過ぎなくなってしまうのである。</p>
<p align="right">美香一　正好</p>
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		<title>【音楽は、神仏の声か】</title>
		<link>http://www.obans-club.com/noyori/4/</link>
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		<pubDate>Tue, 27 Nov 2007 07:17:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>obans</dc:creator>
				<category><![CDATA[野寄史郎]]></category>

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		<description><![CDATA[今年は、高野街道をよく歩いた。 堺の大小路から高野山の女人堂までテクテクと飽きもせず歩いた。 街道には多くの神社仏閣がある。有名な、あるいは名門と言われている所も有れば、名もない神や仏が座する所もある。 そう言う所に来る &#8230; <a href="http://www.obans-club.com/noyori/4/">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p align="left">今年は、高野街道をよく歩いた。<br />
堺の大小路から高野山の女人堂までテクテクと飽きもせず歩いた。<br />
街道には多くの神社仏閣がある。有名な、あるいは名門と言われている所も有れば、名もない神や仏が座する所もある。<br />
そう言う所に来ると人間ておかしな者で、祈るともなく手を合わせている。これからの長い道中の安全を祈願したり、あるいは日常のささやかな願いを祈っている。</p>
<p align="left"><img id="image4" src="/images/noyori/koe1.jpg" alt="お地蔵さん" width="431" height="314" /><span id="more-4"></span></p>
<p>神仏の前に額ずき柏手を打ち鈴を鳴らし、あるいは鐘を打って自らの願いを聞いて貰いたいと神仏を呼び起こしている。<br />
高野街道を歩いていて、神社仏閣は言うに及ばず路傍のお地蔵様まで数えると、限りないほど今年は手を合わせお祈りしてきた。<br />
しかしながら、一度も「神や仏の声」を聞いたことがないし、その返事も聞かせてもらっていない。神や仏は、我々の願いを全く無視しているのであろうか。</p>
<p>もし神や仏がこの世に居て、我々に何かを語ってくるとすれば、「その声」はどのようなモノであろうか。ふとそんなことを考えた。<br />
私は「神や仏の声」はコンサート会場で聞く「音楽」のようなモノではないかと思っている。</p>
<p>「音楽」には「神や仏の声」が反映しているとは思われませんか。<br />
祝福された声や悟りの世界でしか聞こえない声が、聞こえてくると思われませんか。</p>
<p>歌声もまた、我々が神や仏に何かを語りかけている声と思われませんか。<br />
言葉にもならない言葉「独り言」を繰り返し喋っている子供たちは、自分の思いを「神に語りかけている」ように思われませんか。<br />
いかがでしょう？　私にはそのように思われます。</p>
<p align="left"><img id="image5" src="/images/noyori/koe2.jpg" alt="koe2.jpg" /></p>
<p>作曲家はその「神や仏の声」を作り出し、声楽家はその「神や仏の声」を聞かせ、聴衆に感動を与えていると思われませんか。<br />
今年もまた年末には「神や仏の声」の代表である『おお友よ！　この歌ではなく　もっと喜びに満ちた歌を　』聞きたいと思っています。</p>
<p>重要なことを忘れていました。<br />
夜学の歌謡学校に通学しマイクを片手に「神や仏に語りかける」ことが好きな私ですが、最近は休学状態です。その内に北新地の夜学から出席日数が足りず退学処分にされ、閉め出されるのではないかと危惧している昨今です。今後は、気を取り直して大いに勉学に励んで行かなくてはと思っています。<br />
「人生　生涯学習！」を実践するためにも。 　　　　　　　　　　　　　　　　　野寄　史郎</p>
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