・ビートたけしを俎上に団塊世代を分析した一冊。
・「古きよき日本の伝統を知る」最後の「コメ芸人」のビートたけし(団塊世代)は、「戦後民主主義のもと、幼少期はこれを鑑に、以降はこれを反面教師として、自由でエゴイスティックでアナーキーに育った」。その結果、「『団塊』以前の日本は跡形もなく消えてしまう運命にあるのである」。なぜなら、団塊世代は、自由と自主性を得る代わりに、儒教道徳と犠牲精神を捨てた。人権と平等意識を得る代わりに、仲間との連帯感や能力的優劣に対する認識力を捨てた。「マイハウス」と核家族を得る代わりに、田園と故郷、祖父母・父母への尊崇・恩愛の念を捨てた。合理主義と利殖思想を得た代わりに、日本的"情"と"義"の感性を捨てた。そういう団塊が育てた団塊ジュニアは、「何もない世代『ゼロ世代』」と定義し、倫理観・モラルが欠落し、人情味に乏しく、本を読まないから独善的で短絡的、核家族だから親への恩愛も尊崇の念も乏しいと断罪する。
・1946年生まれの著者自身、ビートたけしを借りて自分自身の半生を自虐的に自省している節もある。そのため、断片的で断定的な印象が残る。私は団塊世代ではあるが、同じ世代が確信的な生き方をしてきたとは到底思えない。むしろ、団塊世代が日本的価値観の転換期に生き、自分探しに明け暮れて今に至っている。いわば、確かなよりどころをみつけることができず、デラシネ的な生き方をしてしまっていることが問題なのではないか。もっとも、ビートたけし自身はどう考えているのかは分からないが...。
堂島ロール(モン・シュシュ)
夕方、中之島の朝日新聞社ビルから渡辺橋を渡って北に向うと、
橋のたもとのポリボックスのあたりから、ずらりと人の列ができて
いる。春先の気持ちのよい季節ならわかるのだが、日は落ちたと
はいえムッとした熱気が漂う真夏の夕暮れ時に、たくさんの、そ
れも若い男女が列をなしている。
大阪人といえば、イラチで並んで待ってまで物を買うという習性は
あまりない。何事だろうかといぶかっていると、オレンジの紙バッ
クを持っている人が店から出てくる。これが今、ちょっとしたブーム
の「堂島ロール」の販売元、モン・シュシュだ。

「堂島ロール」(1,050円)は、生クリームをつかったロールケー
キ。生ものだから、その日にうちに食べ切ってしまわなくてはなら
ない。また、販売数量も限られている。しかも、駅に近いデパート
には出店していない。お取り寄せも、この時期はやっていないと
なると、面倒でも堂島のお店にまで足をのばすしかない。
この「限定的」で、「ちょっと面倒」という状況は、人の所有欲を
かきたてるのだろう。しかも、価格設定がそれほど無理でなく、
なかなか魅力的だ。だから、行列のできる店になったのか…。
そう、大阪で行列のできる店は、他にもある。
鞍公園のそばの「ブランジュリ タケウチ」は、3時ごろには売切
れてしまうほどだ。しかし、大阪一名高いパン屋とはいえ、モン・
シュシュに比べるとマスコミ露出度は少ない方だ。これは、パン
という性格上、自家用消費がほとんどだからだろう。客層も、女
性が圧倒的だ。
「堂島ロール」の場合、大仰なギフトではなく身内ギフト商品だか
らだろう、男性客が目立つ。
「堂島ロール」の紙バックを持って足早に駅に向う男性のその先
には、眼を輝かして喜ぶ女性がいるのではないかと思わせる、
歓びがある。ここに、行列の本当のヒミツがあるのではないだろ
うか。
この現象は、難波の「りくろーおじさんの店」の焼き立てのチーズ
ケーキ(525円)を求めて長い行列ができることと同じだろう。
ただし、チーズケーキを待っているのは、子どもを中心としたファミ
リーだ。
同じケーキでも、「堂島ロール」というネーミングがかもしだす
イメージには、ビジネス街に働く男女のストリーが感じられる。
これこそ、ターゲットをしっかりと見定め、物語を創りだした
マーケティングの勝利だといえるだろう。
◎モン・シュシュ
http://www.mon-chouchou.com/

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