2007年9月アーカイブ

070917_073220.jpg・ビートたけしを俎上に団塊世代を分析した一冊。

・「古きよき日本の伝統を知る」最後の「コメ芸人」のビートたけし(団塊世代)は、「戦後民主主義のもと、幼少期はこれを鑑に、以降はこれを反面教師として、自由でエゴイスティックでアナーキーに育った」。その結果、「『団塊』以前の日本は跡形もなく消えてしまう運命にあるのである」。なぜなら、団塊世代は、自由と自主性を得る代わりに、儒教道徳と犠牲精神を捨てた。人権と平等意識を得る代わりに、仲間との連帯感や能力的優劣に対する認識力を捨てた。「マイハウス」と核家族を得る代わりに、田園と故郷、祖父母・父母への尊崇・恩愛の念を捨てた。合理主義と利殖思想を得た代わりに、日本的"情"と"義"の感性を捨てた。そういう団塊が育てた団塊ジュニアは、「何もない世代『ゼロ世代』」と定義し、倫理観・モラルが欠落し、人情味に乏しく、本を読まないから独善的で短絡的、核家族だから親への恩愛も尊崇の念も乏しいと断罪する。

・1946年生まれの著者自身、ビートたけしを借りて自分自身の半生を自虐的に自省している節もある。そのため、断片的で断定的な印象が残る。私は団塊世代ではあるが、同じ世代が確信的な生き方をしてきたとは到底思えない。むしろ、団塊世代が日本的価値観の転換期に生き、自分探しに明け暮れて今に至っている。いわば、確かなよりどころをみつけることができず、デラシネ的な生き方をしてしまっていることが問題なのではないか。もっとも、ビートたけし自身はどう考えているのかは分からないが...。

「街の書斎」探し

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緑モス

 

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若い頃から近眼と乱視だったが、そこへ老眼が加わると、本を読むのが苦痛になった。それまでは眠る前には何かを読んでいたのだが、老眼を契機に読む習慣を放棄した。一挙に読書量が落ちたが、それでもやっぱり読まなくてはならない本もある。読みたい本もある。本は手放せないものだ。

そうなると、いつどこで本を読むのかが問題で、いつも無意識のうちに探してしまっている。今、ベスト3を挙げると、いちばんは何といっても電車のなか。これぐらい集中できて、着実に読み進められる空間はない。ベスト2は、トイレ。まぁ、「トイレ書斎」という向きも多いことだから、これは当然だろう。そして3位は、「喫茶店」というところだが、これがなかなか難しくなってきている。そう、なかなか気に入った喫茶店がみつからなくなってきているのだ。

総務省の事業所・企業統計によると、喫茶店がピークに達したのは、1981年で154,630店。いちばん多かったのは大阪府でシェア14.7%。東京は11.9%。兵庫は6.3%だった。それが2001年には、6割程度の88,933店に激減してしまっている。大阪も22,711店から13,839店へ(シェア15.6%)。兵庫は9,788店から6,843店へ(シェア7.7%)。東京はシェアを落とし、9.5%となった。喫茶店に関しては西高東低という傾向なのだが、それにしても20年で4割も減ってしまっているのだ。バブル崩壊後の消費低迷期に、低価格のチェーン店が急増し、個人店経営では厳しい競争に立ち向かうことは困難になったのだろう。

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