私のペンネーム考

経営学孫子 30年ほど前ペンネームを考えたことがある。別に実名でも良いのだが、少し格好を付けて、文章を書くならペンネームがあれば良いなと思った。しかしいざペンネームを創るとなると、どんな名前を付けたら良いのか、いささか悩むものである。子供に名前を付ける時、名前は子供が一生名乗っていくものであるから非常に重要である。しかしペンネームならそんなに大げさなこともない。もっと気楽に付けても良いのではないかと思うのだが、やはり付けるからには良い名を付けたいと思う。
そこで何か参考になるものはないかと思い、現在、有名な作家と言われる人たちの名前を調べてみた。すると面白いことが判った。
作家達のペンネームは、大きく分けて二つに分類できるのである。
「郎」の付く作家達と「郎」の付かない作家たちである。

まず、「郎」の付く作家であるが、最初に「一郎」と「太郎」を見ると、
【太郎】が付く作家は、歴史小説の代表である司馬遼太郎、旅行サスペンスの西村京太郎、時代小説の池波正太郎、山岳サスペンスの梓林太郎、他に沢木耕太郎、山田風太郎などがおり、【一郎】が付く作家は、山手樹一郎、谷崎潤一郎、亀井勝一郎、白石一郎などがいる。
次ぎに「次郎」の付く人は多いが、「二郎」と名乗る人は、私の知っている限りではいない。総ての作家が「次郎」と名乗っている。
【次郎】と名乗る作家は、山岳小説の新田次郎を初め梶井基次郎、浅田次郎、赤川次郎、大佛次郎、灰谷健次郎などがいる。
【三郎】が付く作家には、経済小説の代表である城山三郎やノーベル賞を受賞した大江健三郎、あるいは時代小説の柴田錬三郎、嵐山光三郎などがいる。
「四郎」は、発音が「死」の音に近いためか以外といない。最近になって時代小説を多く書かれている井川香四郎がおられることを知った。やっと「四」の付く作家が出てきた。「四郎」がだめなら「士郎、司郎、市郎、史郎、志郎、支郎、資郎、始郎、詩郎、嗣郎、糸郎、詞郎、枝郎、思郎、賜郎、姉郎、紫郎、獅郎、柴郎、柿郎、梓郎」などいくらでもあるのだが、こららの文字を使った作家は不思議といない。文字は異なっても音は「し」と発音するのでやはり嫌われるのか。
【五郎】には、時代小説を代表する山本周五郎や海音寺潮五郎がいる。
【六郎】から【九郎】までは、どうもおられないようである。【十郎】は数人おられたような気がするが今すぐには思い出せない。直木賞は直木三十五の業績を記念して創設された文学賞であるが数字のみで【三十五】に「郎」は付かない。
「郎」の付く武将もいる。源九郎義経は「九郎」、織田上総介三郎信長や武田四郎勝頼は「三郎」や「四郎」が付く。

一方で 「郎」の付かない大作家も多い。
芥川竜之介、太宰治、井上靖、遠藤周作、川端康成、小林秀雄、藤村藤村、筒井康隆、夏目漱石、松本清張、三島由紀夫、宮城谷昌光、吉村昭。吉川英治、山岡莊八などなど、数えたらキリがない。
さあ、「郎」の付く名前にするか「郎」の付かない名前にするか、いずれも決断するには捨てがたい魅力がある。

日本では、奈良時代以降、源(みなもと)、平(たいら)、藤原(ふじわら)、橘(たちばな)の四氏、いわゆる源平藤橘(げんぺいとうきつ)を四姓(しせい)言い、これらの家は名家とされた。そのため戦国の武将を初め各大名や武家では、この何れかの流れに入ろうとした。
例えば、百姓上がりの豊臣家は、摂関家の藤原氏を名乗った。しかし一方で在地の名をとって自らの苗字とする武将も多かった。例えば、源氏の足利氏は関東の下野(しもつけ)足利荘を本拠としたのでその地を自らの名としたし、同じ源氏の新田氏も上野(こうずけ)新田郡に土着して新田と称した。武田氏は源義光の子孫が甲斐国北巨摩郡武田村に土着して武田と称したし、織田氏は越前国丹生(にゆう)郡織田に住んだ藤原氏の一族であるが後に平氏と称している。鎌倉幕府の執権家である北条氏は、桓武平氏の流れを汲み伊豆の北条の地を本拠としたので北条と称していた。また徳川氏は、三河加茂郡徳川郷の土豪の出であるが源氏と称するようになった。このように日本の苗字は、自らの在地をその苗字として発生したものが一般的である。そのため日本の苗字の多さは、世界一とも言われている。

藤原家が支配する平安時代の終わり頃から、日本の政権は平清盛を代表とする平氏へと移ったが、それもつかの間、その政権も次の源頼朝に奪われた。しかし源氏によって樹立された政権によって、この日本で、しかも世界の辺境の地に位置する日本で中世・封建時代が始まったのである。これは西ヨーロッパ以外では唯一初めての出来事であった。しかしながら日本と西ヨーロッパ以外の世界では、その後も長く原始社会か古代社会のままの状態が、しかもそのような社会がごく最近まで続いてきたのである。その源氏が起こした武家政権を平氏の北条氏が奪い、さらにそれを源氏の足利氏が奪って室町幕府が成立するのである。しかも征夷大将軍の地位には「源氏の流れ」しか就いていないのである。平氏、源氏、平氏の北条氏、源氏の足利氏、当然次の政権は、平氏の順になる。そこで藤原氏の出である織田氏は平氏と名乗り、次の秀吉は源氏と名乗ろうとしたが、これは問題。結局、摂関家の藤原氏を名乗ることになる。さて次ぎに政権を奪う者は、源氏でなければならない。徳川家康は、早々と源氏を自らの出自とし、江戸に幕府を開き征夷大将軍の地位を獲得したのである。これが日本における「源平交代の制」である。
閑話休題 本来、「筆名(ひつめい)」とも「ペンネーム」とも称されるものは、何のために出来てきたものであろうか。学者が書籍を刊行する時は、その著書に実名を用いて発表しているが、こと小説など文学に関するものになると、筆名・ペンネームが使われる。
弾圧や中傷を逃れるためか、あるいはもっと別の意味があるのか、実名を隠さざるを得ない事情があったためか。このような筆名やペンネームが使われるのは、江戸期の浮世絵師や人情本の作家たち、俳諧師や狂歌師、あるいは江戸期の遊里や夜の町で使われる源氏名も一種のペンネームのごときものか。

そもそも、源氏名は、宮中の女官や武家の奥女中などの名に用いられたものであるが、その起源は、畏れ多くもかの紫式部が著した『源氏物語54帖』の題名に因んで付けられたものである。最初の頃は『源氏物語』の巻名に因んで使われていたようであるが、江戸期以降は、遊里の遊女や芸者にも使われ、現代では飲み屋の愛しきホステスにも使われている。そして『源氏物語』とは大きくかけ離れた源氏名が現在では広く使われているのである。最も「夕顔」や「若紫」「紅葉」「葵」あるいは「朝顔」や「若菜」また「紅梅」「蜻蛉」ばかりでは、いささか興ざめするのだが・・・。カッコつけのために源氏名が生まれてきたのであるが、遊里では、本名では余りにもダサイので変えざるを得なかったのか、あるいは自らの身元を隠すためにこのような源氏名が生まれてきたのであろうか。何れにしても本名を隠す意味では、筆名と全く同じ主旨である。

さて私のペンネームは何て付けよう。
苗字は住んでいる都道府県名や京・大和・河内・和泉・摂津などの旧の国名からでも良いし、あるいは市町村の名から考えれば簡単であるが、下の名が決まらない。「郎」を付ける、「郎」を付けないと悩む。考える時間は十分にある。イイや、その前に何か一編の「文書」なり「作品」なりを書き上げてからでも遅くない。ペンネームなどは、それから考えても十分である。

(野寄史郎)

※著書:経営学〈孫子〉―今に生きるその実学

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