初めまして。

川村さんと高校がご一緒で、今度こんなのを立ち上げたのよ、とお聞きして、じゃ、私も何かメッセージを寄せようと。
でも、ハテハテ私って何かある????
何もこれ!って人様に言えるものないなあーーーーー ウーーン困ったなあ・・・・・
あった、あった!!私じゃないけど、友達に、自慢したい人っていうか、その生き方に元気をもらえる人が!
昨今、私たち団塊世代のことが男性、女性、はたまた男女ひっくるめて色々と取り上げられていますよね。
ファッションから生活全般、はてまたその生き方にいたるまで・・・・
もうーーほっといて!!と言いたいくらいに。
まあ、世の中の格好なネタというか、カモというか。
と、話が逸れていきそうになりましたが、そういう新聞や雑誌に紹介されている自分の知らない人でなく、「わっ、やるなあーー」と思った私の身近な友達をご紹介します。

大学時代の友人です。
いわゆる一流といわれる企業に勤め、企業戦士として海外勤務を長くしていた彼(T君と呼びます)。
T君は、60才という年が近づくにつれ、自分の今までの人生について考えるように・・・
自分が若い時の気持ち、そして自分は何をしたかったか?と考えたそう。
男性は、特にサラリーマンとして生きてきた方は、ほとんどの人がとらわれる想いでしょう。
実は、彼は教師という仕事もいいなあと思っていたそうです。
そして、英語が好きで大学時代1年間アメリカに留学もしていたし、知らなかったけど英語の教員免許も取っていたとか。
ところが、大学4年になり、いざ、就職という時、こんなことを言ってはいけないかも知れませんが、その当時「デモシカ先生」という言葉があったように、男が大学を出て、学校の先生になるということは、世間一般から見てあんまりいいようには思われていなかった時代だったし、一般企業に就職したというわけ。
あーー、若いとき自分はーーーと、ここまでは、よく誰でも思うことですよね。
ところが、T君は、よしっ、教師、それも外国人に日本語を教える日本語教師になろう!と。
彼は、長い海外勤務で、英語、フランス語、中国語と話せるのです。
そして、日本語教師の資格を取るために一年間、会社が終わってから専門学校に通い、資格を取得。そして、定年まであと一年を残し退社。
今年8月、中国・大連の大学の日本語教師として単身(奥様は奥様でやりたいことがおありになるので)旅立ちました。
大連からの、9月から新学期が始まり、授業の準備や、生徒さんとの交流の楽しそうで、生き生きしたメールを拝見して、きっと、T君なら人気者の先生になるんだろうなと確信しています。

先にも書きましたが、今までの自分の歩いてきた道を振り返って、この道が自分の一番やりたかったことだろうか?と考え、いや、違う、ああいうことがやりたかったんだ、と思っても、なかなかそのやりたかったことを又、新たに勉強して一歩踏み出していくことは、本当に勇気のいることだ思うのです。
そういう想いを実現する人が、自分の身近な友達にいるということは、とっても嬉しく勇気をもらいました。
誰かにも知って欲しくて書いてしまった次第です。

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